日記が書けないことを除けば、とても充実していた2009年5月末

映画か芝居を観た日、というのは大体が2本とか3本とか観ているので、全部を日記に書く気が起こらない。映画も芝居も観ない日、というのは大体が終電間際まで仕事をして帰ってくるので、日記を書く気力が出てこない。そして今の自分のためだけに整理されたリストができた。

金曜日は有給をもらって金土日と3連休してやった。馬鹿みたいな生活。まだ馬鹿な勢いは緩やかに続いている。穴埋めゲームのような気もしている。

  • 29日は渋谷で外国人に道を聞かれた。2回。原宿へ歩いていく方法とハチ公の場所。
  • 「ゆかり」はそもそも狭いスペースなのだがお客さんが2人。
  • 「渋谷JK」ろりえは着地失敗かもしれないがトライに拍手。快快は映像メディアにちゃんと合わせてきたのが流石。「コンビニあるいは謝罪について」の松井周(サンプル主宰)がキモすぎるのと、黄色っぽい色合いがいい。演劇の映像化というかNHK化というかテレビ化というかいろいろなチャレンジを味わえる贅沢よ。
  • 四川のうた」は語りと映像の圧力に感動。なんなんだこれ。ジャ・ジャンクー忘れぬぞ。
  • 「二騎の会次回作『F』プレイベント」で端田新菜が見つけた小さい秋で泣きそうになる。歌いいなあ。ずるいよ。
  • 早起きして10時に渋谷109のチケットぴあに出向くも「タトゥー」の当日券(Z席)は2分で完売。しかし早起きしたおかげで「面打/men-uchi」観れた。すげーたまらん。面と彫刻刀が楽器だ。ライブだ。
  • 渋谷から初台の新国立劇場までバスに揺られてみた。そしたら楽日の「タトゥー」がキャンセル待ちでZ席1500円で観れた。しかも久々にどっしり構えたアートで満足。パン屋の親父の妻と娘たちがまとっている白っぽい衣装は父親がこねるパン生地か。ねっとりしていてまるでアレだ。初っ端からキモさ全開。りんごは何のメタファーだ。長女にワンワンという蔑称をつけられた母親がとうとう犬の気ぐるみを着たあたりリアリティの殻が破けていく感触が気持ちいい。近親相姦の共鳴/他者占有的な男性性。って古臭い戯曲だけれども演出を楽しむのには適している。ラストは戯曲も含めいろいろ馬鹿にした感じかも、とか思ったり。舞台美術は迫力があるけれども、ベルリンの窓枠を使う理由がわからない。そしてまた渋谷までバスに揺られてみた。雨がひどかったなあ。
  • 大芸卒業制作の作品「good-bye」に出会えた。きもちよくて興奮。感覚に形を与える静かな力がある。
  • 「一月三日、木村家」楽日。二回目は演出の変化を楽しみつつも本当と嘘の境界を揺さぶられて前半のめりこめず。なにより役者がみんな黙ってじっとしている間が大好きだ。ラストのピンポンにぶったまげつつ突き落とされるというか突き上げられる。この芝居には力がある。それは観る者がすでに持っている家族力を呼び起こす力だ。そして1回目観たときに身も心も軽くなれたのは自分の潜在的な家族力に癒されたからなのだ。そんな気がする。ところで照明は最初からあんなにころころ色が変わる感じだったっけか。
  • 仕事終わった後ダッシュして18時過ぎから「鬼畜大宴会」が観れた。大傑作。関係者や上映してくれた人に拍手と感謝。「ノン子36歳(家事手伝い)」の監督。
  • 風邪かと思ったがどうやらどこかが炎症を起こしている様子。病気。

いくつかのささやかな奇跡やたわいもない出来事があった、と。全部はあきらめるにしても、ちゃんとした感想が書きたい。ノートにはメモがいーっぱいいっぱい。

観たい芝居や映画がある。