3人いる!(脚本:多田淳之介/演出:飴屋法水)2回目

3人いる!@リトルモア地下(脚本:多田淳之介/演出:飴屋法水
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=14562
http://www.littlemore.co.jp/chika/3nin/


2009年8月9日(日)チーム9
出演者:畑中研人 安田裕登 チュン・イ
15:00-


まず、基本的な構造について丁寧な説明をしてくださっているブログを紹介しておく。観劇日が違うと物語や細かい設定が違うのでご注意を。
しのぶの演劇レビュー: リトルモア地下『飴屋法水「3人いる!」』07/31-08/12リトルモア地下
辿れば脚本家による昔の解説も読める。いつも丁寧で助かる。
飴屋法水の『3人いる!』−++ - 白鳥のめがね
柳澤望さんの演劇批評はとても勉強になる。


あと、書きなぐりな1回目の自分の感想


8/3バージョンとどう違ったか。主観と客観の不一致、主観では自分が2人いる、といった骨組みは同じだが物語が違った。そして驚くべきことにラストが変わっていた。8/3バージョンは女x2・男x1、舞台は女の子の部屋、最初の人物(女)でケーキを食べるところから始まり、ろうそくが徐々に灯っていき友達の部屋に場面転換し、大学は武蔵野美術大学の漫画サークル、ラストはホンモノ・ニセモノ特定ゲーム(ニセモノが部屋から去った場合、客観的には部屋にまだ残っていることになる)の徹底(最後は一人の役者が三人の人物とニセモノ一人を背負う状態)により3人ともいなくなるという不条理、といった設定で60分くらいだった。8/9バージョンでは、男x2・女x1、舞台は男の部屋(ソファ・PCなど黒いアイテムが多い)、最初の人物(男)がPC上に開いているらしき円谷幸吉の遺書(美味しゅうございました)を読みあげ、お香が徐々に燃えていき友達の部屋に場面転換し、ラストはチュン・イだけが残り、まるでそれまでの場面はチュン・イの思い出イメージだったかのようにして、モンゴルに帰る別れの手紙を読み上げて去る、という設定で90分近かった気がする。


8/9バージョンはチュン・イさんの不自由な日本語のイントネーションと手持ち無沙汰感のある自然体の演技が楽しかった。肩の力を抜いて一生懸命演じてます、という人に見えてきて、それがあったからこそ、この回が楽しめたんだけど、それはなぜだろうか。ひょっとしたら役者の演技がうますぎる(表現として正確すぎる)と破綻してしまうんじゃないか。物語を構築していくのは観客であって、演技の隙間を観客が勝手に埋めてくるのを当てにすることで成立しているのではないか。役者の背負う役が特定しにくい瞬間がたくさんあったはずで、それは別にこの「3人いる!」に限らず、観客が勝手に埋め合わせ・辻褄合わせをやっていることには変わりない。観客の勝手さっていうのはつまり、演劇で生成しているのは誰かにとってのヴァーチャルな(事実上の)リアリティであるってことで、それって、それって、当たり前なんだが、それが面白いわけで。説明面倒だなまったく。Castaya projectの「Are you experienced?」観てきたあとで書いてるから余計に頭がふにゃふにゃしてしまう。Castayaは楽しかったなあ。それを絡めると一回性についても書かないといけない。一観客の気楽な意見なんだけど、演劇がいい感じに追い詰められて、しかも楽しいものになっていける気がする。