ミクニヤナイハラプロジェクト「五人姉妹」:中原昌也好きだ

ミクニヤナイハラプロジェクトvol.4『五人姉妹』
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=13050

\3000でチケット譲りますと書いた紙を持って、中原昌也がタバコ吸ってたりする横で、おっちゃんとかおばちゃんとかに笑われながら立っていたのは私です。いちおう涼しい顔してたけど、開演もうすぐなのに買い手がつかず泣きそうだった。5分前に買ってくださったおにいさん、ありがとうございました!


芝居はおもしろくなくて途中で寝てしまった。中原昌也の曲が流れたシーンはよかった。周波数の高い太く刺し込むようなベースとノイズの嵐の中、舞台正面と床に投影されるモノクロの映像(このときはバラか蝶々だったかな)と暴れまくる五人姉妹。気持ちよかったなあ。これを繰り返す60分が観たいと思った。あと、この作品は性的なイメージを排除しているように思える。なぜなんだろう。

■出演者:稲毛礼子、笠木泉、高山玲子、三坂知絵子、光瀬指絵、山本圭
■作・演出:矢内原美邦
■音楽:中原昌也
■衣装:スズキタカユキ
■美術:細川浩伸(急な坂アトリエ)
■照明:森 規幸(balance, inc. DESIGN)
■映像:高橋啓
■舞台監督:原口佳子(officeモリブテン)
■イラスト:牧かほり
■宣伝美術:石田直久


■あらすじ・解説など
これは日々の"習慣"についての物語です。
人間以外の生き物は、生存を維持するために身体的な習慣が生まれてくるにもかかわらず、生存に全く関係のない習慣が生まれてくる人間特有の現象。
例えば、タバコを吸うとか、毎朝コーヒーを飲むとか、早起きをするとか。
それが人間の真意/欲望であろうが、偽りであろうが、日々の生活のなかで繰り返されることによって、形を変え、歪みが生まれ、そして身体の一部となってゆく習慣。


『習慣は自然の如し』という、孔子の言葉があるように、習慣は、生まれつきの性質におとらないほどに、その人の生活に影響するもの。
『五人姉妹』では、五人の姉妹の、執拗な執着ともいえる5人の女性の習慣を、ユーモラスに描く。
頭が忘れていても、習慣としてこびりついた身体の記憶について、
これまで10年間ダンスカンパニー・ニブロール振付家として活動してきた矢内原美邦が、そのダンス独特の疾走感を、演劇的なアプローチを用いて製作する。


とある古風なお屋敷に住む五人の姉妹の物語。
彼女達は、どこにでもいるような姉妹。ではない。
プライド高きお嬢さまたちである。
一日のうち一時間しか起きていることができない病を患う長女・春子。
ひきこもりの携帯小説家、次女・夏子。
激しい物忘れを患う三女・秋子。
熱狂的な韓流ファンが高じて韓国人と結婚することになった四女・冬子。
そしてこの姉妹で唯一の常識人、弁護士でもある五女・桜子。
両親はいない。
時間の止まったようなお屋敷の、閉ざされた空間でくりひろげられる
病気持ちのお嬢さまたちによる支離滅裂なドラマ。


どこにでもあるようで、ないような家庭の幸福と不幸を描きながら、
女性の自立、現代の東京、または日本が抱く精神的な問題、
どこへ行く当てもなく社会に放り出され、
「こども」のまま成長した「おとな」たちのこれから訪れるであろう未来への不確かな不安を描いた物語。


corichより