鳥の飛ぶ高さ:芝居は退屈したが受付が豪華

  • 2009.06.27(土) 14:00
  • シアタートラム(三軒茶屋

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=12107


青年団の役者の方々が受付の業務をされていて、さらに、生の平田オリザさんまで。生オリザ様。少年のようなたたずまいでいらっしゃる。た、たまらん。


お話の内容は、資本というパワーと人間というパワーの小競り合いとでもいったところか。便器といううんこのための装置を売るために、フランス人の経営コンサルタントの指示に従い、日本人たちがクソまじめに便器のイメージを膨らませたりするシーンなどあり。


いくつか試みられたことがあったのだろう。しかし、古臭い戯曲の再生に成功したとは思えない。ダンスシーン(振付:白神ももこ)だけが今風だったのは、役者が演出から開放されて軽やかなダンス身体へと昇華したからだろう。「春琴」(演出:サイモン・マクバーニー)でも思ったが、ヨーロッパ人の演出はどうしてこう見せびらかすような、身体をこけにするような感じなのか。どういう背景の違いがそうさせるのか。


面白かった点。日本語・フランス語の壁のとりはずし/もてあそび。フランス語の原作を平田オリザが翻案している。登場人物が日本人とフランス人で、台詞は日本語とフランス語が混ざる。字幕板はステージ上方に設置されてあり、日本語音声がフランス語文字に、フランス語音声が日本語文字に置換される。ふつう字幕は単なる機能で、芝居にとっては補助的なものかもしれないが、ここでは演劇の一部となっていたのではないかと考える。フランス語を話していたフランス人の役者が日本語を話すとき奇妙な感覚に襲われる。何が起こっているかというと、身体と字幕の一体化と分離を経験させられるわけである。フランス人の役者が日本語を話すとき、必要も無いのに字幕を追おうとする目の動きを感じるい。聞くだけでいいのに見ようとしてしまう変な感覚。もちろんフランス語もわかる人なら別の経験をしているだろう。見ないでもいいのに字幕を見て、翻訳の上手さ下手さとか、日本語ではこう言うのかへぇとか思うのかもしれない。


便器のイメージアップのためのCM映像はうけねらいなのだろうが、家族がトレイにこもっているというアイデアは陳腐だ。便器のCMのダンスシーンはよかった。セットが前半と後半で変化するのだが、ワンマン社長の時代はセットが3階層のピラミッド型構造なのに対して、社長が息子に交代して社員にブレインストーミングまでさせるような時代になってからは3階層の1番上が取り払われて、フラットになって同一階層に社長も社員も椅子を並べるようになる。また前半、ちらちら見えた舞台裏の幕の色が赤で、後半、出てきた椅子は青で、フランスな色彩感。

フランスを代表する現代劇作家ミシェル・ヴィナヴェール作“Par-dessus bord”の舞台を、現代の日本に置き換え、平田オリザがお届けするドロ沼企業買収劇。


超高性能便器を開発した日本の家族経営メーカーが、世界最大手のフランス資本便器会社に狙われる。日仏合作の新型経済演劇を、フランスの次世代を担うアルノー・ムニエが演出する。


《ミシェル・ヴィナヴェール プロフィール》
1927年生まれ。劇作家、小説家、批評家。元フランス・ジレット社社長。2006年に演出家としての仕事もはじめる。現実を直接的に描く「日常の演劇」の旗手として知られ、『職さがし』(1971年)、『労働と日々』(1979年)など彼がよく知る実業界に取材した作品も多い。


《アルノー・ムニエ プロフィール》
1973年生まれ。政治学の学位取得後、演劇を学ぶ。俳優として活動した後、1997年にLa compagnie de la Mauvaise Graineを設立。ヴィナヴェールの作品に取り組むのは2006年の『職さがし』、2008年の『キング』に続き3作目。2006年に平田オリザ作『ソウル市民』をパリのシャイヨー国立劇場にて演出。


平田オリザ プロフィール》
1962年生まれ。劇作家・演出家・こまばアゴラ劇場芸術監督・劇団青年団主宰。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。第39回岸田國士戯曲賞受賞作品『東京ノート』をはじめ、その戯曲の多くがフランスを中心に世界各国語に翻訳・出版されている。


[原作] ミシェル・ヴィナヴェール
[演出] アルノー・ムニエ
[翻案・演出協力] 平田オリザ


[出演] 山内健司/ひらたよーこ/松田弘子/志賀廣太郎永井秀樹天明留理子/太田宏/大塚洋/田原礼子/石橋亜希子/大竹直/畑中友仁/高橋広司(文学座)/
フィリップ・デュラン/エルザ・アンベール/ナタリー・マテール/モアンダ・ダディ・カモノ


世田谷パブリックシアター公式サイトより