『阿賀に生きる』

2009.08.14(金)15:00〜
東京国立近代美術館フィルムセンター大ホール


前から見たかった佐藤真の記録映画。

阿賀に生きる
(115分・16mm・カラー)

新潟県阿賀野川流域に暮らす人々の穏やかな日常の記録を通して、水俣病による深い傷跡を静かに見つめた作品。90年代以降のドキュメンタリー映画界を牽引してきた佐藤真監督の長篇第1作。ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭銀賞受賞をはじめ国内外で高い評価を受けた。

’92(阿賀に生きる製作委員会)(監)佐藤真(撮)小林茂(録)(解)鈴木彰二(音)経麻朗

上映会情報特集・逝ける映画人を偲んで 2007-2008


写されるのは、土地(田んぼや川)、食って生きていくための技術/知恵(たくさんの風の名前、船を作るひと、大正時代に大水があった川)、暖かく懐かしい感じのする老人たちのコミュニティ(囲炉裏を囲んでおしゃべりとか)、そして水俣病の傷跡(患者の認定をまだ受けられていないおばちゃんのへし曲がった手の平など)。どこかしら未開の地の原住民をみているとうな錯覚すら覚えながら観た。


ところで登場人物はほとんどが腰の曲がった老人ばかりで、若い人(10代〜50代)が出てこない。小さい子供が少し出てきたくらい。そもそもそういう土地なのか、それとも平日の昼間の映像が多いからなのか、演出なのか。


「明日死ねたら最高」みたいな発言から始まる老夫婦の会話が楽しい。死についてよく考え、自分なりの覚悟を決め、それでも笑って生きる姿をみて、自分の若さを思い知る。


ドキュメンタリーの大切な魅力に触れた気がする。事前知識としてもってはいたが、たしかに生活へのカメラの入り込み方がとても自然だ。スタッフは3年間そこで共同生活したというからすごい。カメラ・スタッフが生活にとって異物でないわけがない。けれども、生活というのは異物を取り込むことができるのに違いない。というか、そもそも生活という持続する活動には異物処理がひとつの基本的な過程として含まれるのだろう。そして生活に取り込まれていく中で、撮影チームもまた変容していったのではないか。そこでの活動は、何かをカメラで切り取って持ち帰るようなあり方ではなく、人がむかしを思い出すための記憶を体に刻む込むような、そんなあり方に変わったのではないか。認定に向けての団結をしているシーンでフィルムが切れるハプニングや、久しぶりで嬉しそうにじいさんが釣りをしているシーンでのどたばた感など、そういう生活の記憶(あるいはそれを傷と言ってもよいかもしれない)でしか表現できないことがあるのだろうと思った。