「グァラニー 〜時間がいっぱい」作・演出:神里雄大、無垢な表現に敬意を感じた

神里さんの芝居は「リズム三兄妹」だけ観たことがあって、目の前で起こっているのに何が起こっているのかよくわからず悔しい思いをして、その悔しさをいまだに大事にとってある。そんな状態で「キレなかった14才 りたーんず」企画の「グァラニー 〜時間がいっぱい」をアゴラ劇場で観た。5/5(火)16時の回。楽日。

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『グァラニー 〜時間がいっぱい』 作・演出:神里雄大(岡崎藝術座)

出演:
上田遥 菊島かずは 坂倉奈津子 宇田川千珠子(青年団) 高須賀千江子 寺田千晶 杉山圭一(北区つかこうへい劇団

私は今、町田駅前の喫茶店にいる。朝10時半、店内では男たちが新聞ばかりをひろげている。
若者の匂いもしない店内で私は十数年前のことを思い出していた。
サッと晴れた太陽、張りつく芝の緑、回るスプリンクラー
私たち子どもも大人も日本人もパラグアイ人も入り乱れてサッカーボールを追う......初めての自主的な記憶......
(グァラニー・・・パラグアイ、ブラジルあたりの先住民族、およびパラグアイ通貨)

冒頭、There're places I'll remember♪ でこっちの構えがぐにゃりと溶けてしまう。ビートルズ?今回わかりやすい?ひょっとして?みたいな。マジカルミステリーツアーのハネムーンは泣けるし、豚小屋の長台詞の可愛い女性が鬼の形相になるのにおののくわ、母親の長台詞の信じる強さにまた泣けるし、またIn My Life流されてラストのエピローグ的なマテ茶のやりとりが素敵やし、なんでこんな優しいものがつくれるんだろうと思った。神里さんの今回の企画(「きれなかった14才りたーんず」)への思いなんかをいろいろ読んだりしてるからというのもあるけど、今回は自分をさらけ出したようなポーズだが無垢さが表現の核にある気がする。人を信じてやる/人は人を信じるっていう芝居なんだと思った。アフタートークで町田が南米でとかいう話は爆笑したけど、ひたすら神里さんに敬意を感じた。自由に演劇したいのに企画の枠をはめてしまった無念さ?憤り?みたいのがあるのかと思っていたけど、ひょっとしたら神里さんにはもっと先までの気持ちがあるのかもしれない。この企画の裏というか土台というかアゴラでみんなが踏んでいるイベントの下に神戸の事件があるということの意味まで。あとこの芝居、俳優がみんなすごくすごくすごく魅力的に感じられた。