ハイバイ「リサイクルショップ『KOBITO』」ママとのシンクロ率100%


駒場アゴラ劇場にてハイバイ「リサイクルショップ『KOBITO』」。いまどきベタ・物語・日常性という制約を抱えながらよくやるよなーと思いながら、演出の試みにわくわくした。そこでしか起きないことが起こる。他者への無関心の塊のように見えるオバチャンたちに堆積している生きてきた人としての厚みを役者という楽器たちが奏でるオーケストラが巣晴らしい。暖かいノイズに身をゆだねてラストを迎え、母への感謝に満たされて心が震えた。けれども。

http://hi-bye.net/index.html

作・演出: 岩井秀人
出演:金子岳憲、永井若葉、坂口辰平、岩井秀人(以上ハイバイ)
有川マコト(絶対王様)、岩瀬亮、
斉藤じゅんこ、小熊ヒデジ(てんぷくプロ/KUDAN Project)

けれどもはっきりと違和感と不快感が残ったのはなぜか。この演劇の成立(オバチャン賛歌を大音量で流すこと)を通して、自己愛に狂ったあざとい男子による母との結合が企てられているように見えたからだ。ままーおっぱいほちーでちゅーに過ぎないんじゃないの?という気がしてならない。ベタ・物語・日常性というノーガードな防衛に対して攻めこむのは勇気がいるけれども。これがただの言いがかりに過ぎないことを望む。なのでほかの人の感想・批判が読みたい知りたい。爆笑したとか難しいとかいうのは除いて。あと、日本人的である点について批判とか出てこないかなあ。作家性について気にせず観れた人は楽しかっただろうなあ。

以下、まとめきれなかったので、とりとめのない話ということで。

  • 前半の退屈で観てて徒労感さえある「茶番」の価値と、中盤から展開されるよくできた物語の価値とが、ひょっとして葛藤しているのか?
  • ドアノブの適当さが面白い。好みのアイテム。
  • 母が叫ぶせりふ「思い出〜」は甘えか何かか。
  • 舞台セットとしてかき集められた大量の衣服やおもちゃたち、それらが物として既にもっている歴史や物語を観客が想像するチャンスがあってもいいんじゃないのか。
  • ひとによってはティッシュかマスクを持参。ほこりが舞い散ってアレルギー性鼻炎が反応した。
  • リアルを演出する手法としての同時多発会話ではなく、リアルそのものとしての同時多発発語、という芝居の中心素材には大きく拍手、見事な料理だった!ごちそうさま!

あとは、リアルオバチャン身体(斉藤じゅんこさん)の投入をどう見るか、か。もっと激しく活用することもできそうだが。鏡を斜めから見るシーンとか。
http://www.clear0s.biz/var/profile/index.php?id=saito

ハイバイの芝居は2008.10「オムニ出す」@原宿リトルモア地下を観ただけだが、とても自分にとっては重要な劇団で、というのも、私が小劇場演劇にはまるきっかけとなったのはアイサツの2008.08「クレイジー」(15 MINUTES MADE VOLUME4)で、そこでハイバイの坂口辰平さんが可笑しすぎて惹きこまれてしまったのだった。だからというわけではないが、それ以来、縁があって坂口さんが客演した芝居はおそらく全部観てきている。金子岳憲さんもサンプル「通過」への客演を観てるし、永井若葉さんは作・演出された2009.03「あとみよそわか」(ハイバイの金子、永井、坂口、それぞれがプロデューサー祭・春)で嘘みたいに涙が出て、芝居を観ない友人まで観に行かせて感謝されたりと、とにかく私の演劇をめぐる経験の中央付近にハイバイがあることは疑いようがない。

以下、ハイバイ プロフィールからの引用
http://hi-bye.net/01prof.html

■ ハイバイプロフィール

2003年に作・演出の岩井秀人を中心に結成。
他者とのすれ違いをおそれるあまりにおきる「自己喪失の瞬間」や
他者としっかりすれ違ってしまう「孤立する恐怖の瞬間」など
「みなが持ってるトラウマな瞬間」を露悪的に提示し、
観客を笑うしかない状況に追い込む独特のセンスで注目を集めている。

その「笑えるトラウマ」ともいえるドラマツルギーには外科医の父と
臨床心理士(カウンセラー)の母の元で育ち、夜尿症、多動症を抱え
16歳から20歳まで引きこもっていた主宰の岩井の「素敵トラウマ体験」が
反映されている部分も大きい。


岩井秀人の略歴

1974年6月25日生まれ  東京都小金井市出身
15歳から20歳くらいまでを、今で言う「引きこもり」として過ごす。
2001年 桐朋学園大学演劇科卒業後、2002年11月
竹中直人の会「月光のつつしみ」に代役として関わり
初めて喋り言葉の演劇を知り翌年2003年2月にハイバイを旗揚げ。
以降、ハイバイの全ての作品の作と演出をし、時々出演もする。
2006年11月にハロプロの舞台の演出をしたり
外部での活動も若干やり始めている。