castaya project『Are you experienced?』8/24(月)ヴァージョン


アゴラでcastaya ver.20090824を観てきた。まとまらないけど、感想を書いてみた。トークショートークする人も観客も、みんながcastayaさんとか言うのはきつかったなあ。まあcastayaの実在性(いるとかいないとか)っていったい何なの?ってところを彷徨ってたんだろうけど。ところで、初日同様に写されていた反転したLOVEは「本当に演劇を愛していますか?」と読むことにした。


さて、何が言えるか。えらく退屈した。それはなぜか、というのをしばらく考えてるんだけど、戯曲自体が退屈なのは別にいいとして、退屈な戯曲が2回繰り返されたから退屈だったのだろうか、という問題にぶちあたっている。とりあえず退屈の質が五反田団を観たときとよく似ているのは確かだ。


で、じゃあ戯曲が自分好みの戯曲だったとしたら2回繰り返されても退屈しなかったのだろうか。とか考えるんだけど、そもそもなんでこんなことを大真面目に考えてるんだろうなあというのが正直な気持ちで、だって退屈な戯曲を1回と好みの戯曲を1回とか、つまりいろいろ観た方が絶対嬉しいに決まってるし。


というくらい、何だったんだ今回、と思うけど、経験されるべきなのは繰り返しそのものなんだろう。あるいは、同一性のゆらぎみたいなところか。そして、戯曲、戯曲、と言っているけど、それはそこに一つのものとしてあったわけではなく、演劇に対する普通の見方が「あるはずだ」と要請している仮象に過ぎない、とか、その100分ほどの出来事の中に、繰り返しはあると言えばあるし、ないと言えばないわけで。しかしこんなこと言ってもしょうがないよなあ。


気になるのは、その「繰り返し」の間に、暗転したあと、わざわざ照明を点けて二人の役者にセットの転換させたこと。あと、ノイズ音も含めたテレビの扱い。テレビは視覚と聴覚へ刺激するものとして利用されたのだろう。あと、戯曲の中身をふまえると、おやすまなさい(おやすみの反対)的な状況、つまり寝そうな誰かと寝てほしくない誰かがいるような場として、前半か後半どっちのほうがリアルかというと、前半な気もする、前半は悪い夢を見ているようだったなあ。前半は棒読みというか棒演技というかに対して無茶な感情や大声をさせるようなそんなの。後半は普通(現代口語演劇と言えば伝わるのかな?)。前半がどんなで後半がどんなかを説明するのが面倒なのがちょっと申し訳ない。


今回、揺さぶられらたことの中心は何だったんだろうか。いまひとつ掴めない。ところで、客入れのあいだジミヘン流すのはとてもよいことだと思う。


※映画観たかったのと、ぶっちゃけびびったのとで、行かなかったんだけど、翌日の20090825バージョン、どうやらそうとうやばいなあ。http://www.reset-n.org/futashika/archives/269.html 19:30開演なのに22時の時点でまだ役者が立ってるって! どんなだったのか知りたい! でも恐いし! 行かなくてよかったとも思う!