寺山修司『書を捨てよ街へ出よう』『ビデオ・レター』など、イメージを具体的なものにする感性と腕力にしびれる

渋谷ユーロスペースで「寺山修司映像詩展2009」が開催されている。。2つのプログラムを見る。正午前にユーロスペースのビルに着いたら多田さん一家がいらっしゃってびっくりする。お母様に会うのは二度目だが。自慢。

プログラムA『書を捨てよ街へ出よう』

映画の役者が観客に向かって話しかけることは可能か、津軽弁の耳障りがたまらなく良い、街中で男根状サンドバッグが激太りの中一男子に当たるのが笑ける、かけ布団をめくり上げると敷き布団にお経みたいな日本語が書かれていて自分が映画を観ることで何をされているのかがそろそろわかってくる、「赤面対人恐怖どもり治ります」、童貞・マザコン・近親相姦家族関係・処女・田んぼ・うさぎ・米国に去勢された祖国・Peace、映画はドキュメントとして観ることも可能だと気付く、音楽がずっとがんがんなってるが歌詞はききとりにくい、台詞もききとりにくいが台詞はあとから消していると思わしき箇所がけっこうある、唯一の愛の対象だったウサギを殺され処女喪失の悲しみにくれる妹に両手を頭にあてウサギの真似をする兄の優しい慰めの横を通る獣の枝肉とかもう、湯をはったバスタブの中で小さい女性用パンツ一枚で存在しない乳房を片手で隠す丸山(三輪)明宏の背中にくる、何もしない父親の死んだ演技が妙に気色悪い。

この作品から思うのは、寺山はコミュニケーションの可能性を信じていたんだろうということ。映画においても。そしてそれに応えるイマジネーションが自分にあるかどうか。けっこうがんばった。日本おもしろい。

すこし休憩があって15時からプログラムJ『ビデオ・レター』ほか、トーク&ミニライブつき:森山大道渚ようこ・町口覚

あゝ、荒野

町口覚という人が構成した作品。写真と短歌と音楽のミックスビデオ。曲が素晴らしい、のにタイトル忘れた。誰か教えて。森山大道の写真がしびれる。今も微かに残る新宿の独特な鼻につくにおいって言ってわかりますでしょうか。そのにおいが充満している。で寺山の短歌が挿し込まれるんだが。表示されて5秒くらいで消えてしまって頭の中で絵が出来上がらないうちに流れて散ってしまう。短歌のリズムてこんなんなのかどうなんだちくしょうなんだこれちくしょう。

このあとトークショー森山大道さんを拝む。うれしい。

『空には本』

イメージ映像にのせて寺山の俳句・短歌・詩を三上博史の朗読で。イメージ映像がうるさくなくてよい。「マルのピアノにのせて時速100キロで大声で読まれるべき65行のアメリカ」のバックの音楽はマルのピアノなのか誰か教えて。短歌は二回読まれる。一回目はテキスト無しで。視覚人間の私はすぐに目を動かそうとしてしまうが一回目の読み上げに想像力を反応させる練習をしてみた。するとおお短歌すごい。というか短歌だよ寺山は。世界の切り取り。知らなかったけど短歌は形式からしてすでに切るためのものなのだなあ。そしてそれは映画や演劇にとても近い。

『ビデオ・レター』

寺山修司谷川俊太郎が往復書簡ライクにビデオを作って送りあうという企画。途中、谷川さんはイメージが枯渇し始めてくる。寺山はイメージがどんどん湧き出てくる。寺山のセンスがびしびしくる。意味と無意味をめぐる電話バトルのシーンがあって、寺山曰く「女の子に無意味ちょうだいって言われたらどうする」、谷川曰く「そのときの状況とか周りの物とか…」、ここで寺山も俺も笑う。谷川うける。

そのあと芝居も

このあと会社の人に誘われて池袋で「統一エクスプレス」という芝居を観た。



この日くらいから日記を書く余裕がなくなった。