「ミルク」と「ハーヴェイ・ミルク」の両方観て思うことについて

そうそう大事なことを忘れていた。「ミルク」って最初と最後が「ハーヴェイ・ミルク」と同じだったんだった。その話の前に、だ。「ミルク」は「ハーヴェイ・ミルク」でも使われていた実際の報道の映像を使っている。ただ一次ソースからの直接引用なのか、「ハーヴェイ・ミルク」からの孫引きなのかはわからない。両方混ざっているかもしれない。一部の引用箇所では「ハーヴェイ・ミルク」よりも報道映像が長かったような気もした。まあいいや。その話の前に、だ。「ミルク」って最初と最後が「ハーヴェイ・ミルク」と一緒だったよという話。最初はミルクさんが殺害された直後の報道映像だ。おばちゃんが「ミルクが殺害された」というステートメントを発した瞬間、そこにいる人たちから悲鳴があがる。どちらの作品も共に、観るものに対してとんでもなく邪悪な事件があったことを知らせてから始まり出すのであった。そしてラストは殺害されるすこし前のミルクさんのスピーチで、


Without hope, not only gays, but those who are blacks, the Asians, the disabled, the seniors, the us’s: without hope the us’s give up. I know that you can’t live on hope alone, but without it, life is not worth living. And you, and you, and you, and you have got to give them hope.

翻訳付き http://100voices.wordpress.com/2009/02/14/got-hope/

and you、and you、が残るんだよなー。この優しく力強いスピーチを素材としているのだから映画が面白くないわけが無いわけだ。そうなると「ミルク」はフィクションで、とか言ってもしょうがなくなってくるのかな。その話の前に、とにかく「ミルク」が「ハーヴェイ・ミルク」の構成に倣ったのはよいことだと思う。素直にそう思うことにする。比較しがいがあるし、また、すばらしいドキュメンタリー作品への敬意にも思える。ただ大きく違うのは、ドキュメンタリー「ハーヴェイ・ミルク」がやや扇動的というかムーヴメントの余波としてあるのに対して、「ミルク」はとても静かで穏やかな作品に思われること。ここを丁寧に書けたらよいのだけれど。誰か書き継いでくれまいか。

そんな話の前に大事なことがあった。ミルクさんって鼻づまり声なのだった。ここ素敵ポイントだと思う。ミルクさん本人もチャームポイントだと思っていたに違いない。ドキュメンタリーならではの楽しみだ。でも、スコットとキスするときのドキドキはフィクションならではの楽しみ。おお、いいぞいいぞこの調子。

最後に、ためになるタイプの感想を見つけたのでリンク。2009-05-08